心機能の概念「時変弾性モデル」
– 心室の働きをどのように捉えるか –
1. 心室の入口と出口には血液の流れを一方向にする弁が1つずつある。
左心室を例にとってみると、血液は左心房から入ってきて大動脈へ出て行きます。この流れが逆になってしまうのは困るので、入口と出口には弁があり、それぞれ僧帽弁・大動脈弁と呼ばれます(図1)。
僧帽弁は左心房圧が左心室圧より高い時に開きます。
大動脈弁は左心室圧が大動脈圧より高い時に開きます。
それ以外の時は弁が閉まって血液の逆流を防いでいます。
2. 左心室の働く様子を圧力と容積の関係をグラフで描いてみる。
− 圧-容積ループ −
左心室の仕事の始まりを収縮の開始とすると、圧-容積関係のグラフでは図2の①に当たります。肺胞はガス交換を行なっており、血漿が血管外に滲み出ることは呼吸が障害されるため肺毛細血管圧は低く保たれています。そして肺毛細血管より下流の肺静脈、左心房は更に圧力が低いのです。この状態で左心室の収縮が始まると僧帽弁は直ぐに閉じてしまい、大動脈は一回前の収縮で送り出した血液により圧力が高くなっているので、大動脈弁も開きません。入口も出口も閉まった状態で収縮が進むので、容積は一定で圧力だけが上昇して②→③と移動して行きます。
左心室圧が③まで上昇すると、大動脈圧と同じになります。その後は大動脈弁が開いて血液は拍出されるので左心室容積が減少します。
収縮が終了した左心室は急激に圧力が低下し、④では大動脈よりも低圧になるため大動脈弁が閉じて、血液の移動が無く左心室容積が一定のまま圧力が④→⑤→⑥と低下して行きます。
ついには低圧の左心房より更に左心室圧が低くなり、僧帽弁が開いて左心房より血液が流入してきます。その結果、左心室容積は大きくなり、⑥→①と元に戻ってきます。
3. 左心室に還ってくる血液が減るとどうなるか。
左心室の働きが変わらなくても少ない血液しか入ってこなければ、それに見合った血液量しか拍出できません。従って発生する血圧も下がります。実際に実験をして左心室圧-容積関係を描くと図3のようになります。前負荷というのは左心室がこれから収縮しようという時に入っている血液量、つまり左心室容積です。前負荷を減らすと左心室圧-容積ループは背が低く、幅も狭くなって行くのが分かります。
下図に描かれている破線の傾きは血液が拍出される動脈の血管抵抗を表しています。ここでは血管抵抗も同じという条件なので、傾きは同じで平行になっています。
4. 動脈の血管抵抗が変わるとどうなるか。
左心室の働き・前負荷とも同じ条件でも、血液が拍出される動脈の抵抗が変われば発生する圧力や拍出される血液量も変わることは直感的にわかるかと思います。庭で水撒きをする時に遠くまで飛ばそうとすればホースの口を強く押しつぶすでしょう。あれは抵抗を大きくしてホース内の圧力を上げているのです。一方で水量を測ってみれば減少していることがわかるでしょう。それと同様に動脈の血管抵抗が大きくなれば左心室からの血液拍出は減り(ループの幅が狭くなり)、発生圧は上昇する(ループの背が高くなる)ことになります(図4)。逆に動脈が血液を通し易くなれば(血管抵抗が小さくなると)どうでしょうか。血液拍出は増加して(ループの幅が広くなって)、発生圧は低下する(ループの背が低くなる)ことになります。
血管抵抗は後負荷とも呼ばれます。このように発生圧や血液拍出量は心室の働き具合だけでなく、体内を循環している血液量(前負荷)や血管抵抗(後負荷)にも大きく影響されることがわかります。
5. それでは心室自体の働きはどのように表現されるのか。
容積ループを図3・図4で観察しました。
この図の中で、心室自体の働きはどのように表現されているでしょうか。
図3・図4でループ左上の肩のところに赤丸を置いていますが、前負荷を変化させた時も、後負荷を変化させた時も赤丸は同一直線上を動くことが実験からわかっています。この赤丸が移動する直線は収縮期が終了するタイミングなので、収縮期末圧-容積関係と呼ばれています。
どこかで見たことがあるような図だな…と感じないでしょうか。
中学校の理科で習ったフックの法則を思い出してください(図5)。
横軸がバネの長さ、縦軸は力です。バネの性質は直線の傾きで表され、発生する力はバネを伸ばす距離に比例しています。
もちろんバネでは特定の傾きは変わりませんが、もしも時間と共に
弾性が変化する物体があったらどうでしょうか…。
このような発想から左心室圧-容積関係を眺めてみると心室というの
は時間と共に弾性が増減する袋であると捉えることができます。
実際に分子レベルで起こっていることはアクチンとミオシンの架橋形成と離脱ですが、心室全体とすれば収縮ごとに常に決まった最大の弾性率に到達しては緩むというという仕事を繰り返していることになります(図6)。
このように心室を時間と共に弾性の変化する袋であると考えるのが時変弾性モデルであり、収縮期末圧-容積関係は心室の収縮性を表し、弾性が最も低下する拡張期末圧-容積関係は心室の拡張性を表します。このような概念により、心室自体の仕事を循環血液量や血管抵抗から独立させることが出来ました。
これら一連の心機能研究は菅 弘之先生(国立循環器病センター研究所 名誉所長、岡山大学 元教授)の世界的業績ですが、このフレームワークは心室の力学的振る舞いの描写に留まらず、心臓のエネルギー消費と仕事の関係を調べる上でも強力な概念となりました。圧力と容積を掛け算するとエネルギーの単位になります。
詳しくは、以下の文献をお読みください。
心臓力学とエネジェティクス(日本エム・イー学会編 コロナ社)
Cardiac Contraction and the Pressure-Volume Relationship (Oxford Press)