研究の概要
① 「心臓の機能進化」
私達の体は心臓と血管によって体の隅々まで血液を循環させてエネルギーを供給しており、魚類から両生類、ハチュウ類そして鳥類や哺乳への進化に伴って、心臓は心房や心室の数を増やしてきたことは良く知られています(上図)。これら循環系の形態進化は心臓機能を活動性や生活環境に適応させることが目的であった筈です。多くのエネルギーを消費して生きる哺乳類と鳥類は二心房二心室の心臓を共有していますが、それぞれのグループが別々の道を歩み始めた時には既に二心房二心室の心臓を持っていたのでしょうか?それとも二心房二心室の心臓を持った共通の祖先から別れたのでしょうか?少し考えてみると色々と面白そうな疑問が次から次へと湧いてきます。私達の研究室では、このような疑問への答えを見つけるべく、心房・心室といった目で見ることの出来るマクロレベルでの機能評価と、その機能を発現するための細胞・分子レベルでの仕組みを統合的に理解しようと研究を進めています。そして、心臓がこれまで辿ってきた道を解明していくと共に、哺乳類の一種である私達ヒトが抱えている臨床的問題:心不全の進化的背景にも迫り、病態解明や治療法開発に貢献したいと考えています。
心臓の機能とは
上の動画は私の心臓のエコー像です。左側では左心室が拡がったり縮まったりしているのをご覧になることが出来るかと思います。右側は左心房から左心室に流入して来る血液を赤で、左心室から大動脈に流出する血液を青で示しています。心臓が毎秒1回このような仕事をしているとすると、1日約10万回、80年生きるとすると一生涯では約30億回にも達します。
心筋梗塞など様々な疾患により心臓の機能が低下すると心不全という状態になります。形態とは異なり機能を把握するためには概念が必要ですが、心臓の機能とはどのような性質でしょうか?
より多くの血液を拍出できる、或いはより高い血圧を発生することが出来るというのは正確な評価のように思えます。しかし、心臓からの血液拍出量や血圧というものは、心臓の機能だけで決まるものではありません。ホースで庭の水撒きをすることを考えて貰えれば感覚として把握しやすいと思いますが、遠くまで飛ばそうとすれば指でホースの端をつまむでしょう。この操作によって水はホースの端を通りにくくなって放水される量は減りますが、ホース内の圧力は上昇して水は遠くまで飛んで行きます。このように心臓機能の本質は「血液拍出量」や「血圧」単独では評価し得ないのです。
私達の心臓は詰まるところ「伸びて」「縮む」袋です。従って、良く伸びて良く縮む心臓が理想的であると言えます。専門的な用語では拡張能と収縮能が高い心臓が高いポンプ機能を持っていると表現でき、臨床的にも心不全を収縮障害性と拡張障害性の二つの性質に分類しています。収縮や拡張といってもどのように評価するのか、御興味のある方は私達の心臓機能研究の基盤となっている概念「時変弾性モデル」についてこちらを御覧下さい。
様々な動物における心臓機能の比較
高い活動性を持ちエネルギー消費の大きな鳥類や哺乳類は、エネルギーを余り使わずに慎ましく生きる動物種に比べて良く伸びて良く縮む心臓を持っているのでしょうか?
両生類のカエル、爬虫類のカメ、鳥類のニワトリ、哺乳類のラットなどで心臓の「伸びやすさ」を調べてみました。
すると、予想に反してニワトリやラットの心臓はカエルやカメに較べて非常に「伸びにくい」ことがわかりました(右図)。
グラフはラットとカメの心臓を緩んだ状態で停止させた状態で徐々に液体を注入していき心室の容積を増加させた時の圧力変化を示しています。カメの伸びやすい心臓は容積増加に対して圧力の上昇が緩やかであり(青線)、伸びにくいラットの心臓は少しの容積増加に対して圧力が急峻に上昇します(赤線)。
縮むことに関しては、圧倒的にニワトリやラットの心臓が優勢なのですが、鳥類・哺乳類の心臓は縮む能力を大幅に向上させる一方で、伸びる能力を制限する方向に進化してきたことがわかりました。
縮む能力の向上は当然のように感じますが、元々は伸びやすかった心臓をわざわざ伸びにくくしてきたのには理由がある筈です。この理由として、私達は心臓の血液供給システムがあるのではと考えています。哺乳類や鳥類の心臓は心臓専用の血管(冠血管)を介して血液を供給されていますが、他の臓器と比べて心臓は血液循環に関して特殊な環境にあります。どう特殊かと言うと、心臓から血液を拍出するために縮む「収縮期」に心臓の壁にある血管も一緒に押し潰され血液が流れなくなってしまうのです。従って、収縮が終わって血液を受け取るために心臓が伸びている「拡張期」にのみ血液が流れ込むと言うことになりますが(下図)、この「拡張期」に心臓が強く伸ばされると壁内部の血管も引き伸ばされ、血管は細く長くなるため血液の流れが阻害されてしまいます。
それでは血管が生える以前の心臓はどうなっているのかと言うと、心臓の壁がスポンジのように鬆(す)が入った構造をしていて(下図左)、直接心室内の血液から酸素などを受け取る仕組みになっています。このシステムでは心室がより拡がって多くの血液が入るほど酸素もふんだんに供給されることになります。血管が無いと心臓の壁を緻密にして高い圧力を発生することはできませんが、このようなスポンジ状の心臓を持つカエルは、私達ヒトのように心筋梗塞で苦しむことはなさそうです。
冠血管のある心臓が伸びにくく、冠血管のないスポンジ状の心臓は伸びやすいことが実験から明らかになり、どうやら哺乳類や鳥類は恒温性など大量のエネルギーを必要とする活動を獲得する過程において強力な新型血液ポンプとして冠血管を採用し、引き換えに心臓の伸びやすさを制限してきたのでは、と言う仮説は非常にもっともらしく感じられます。ただ、心臓は筋肉の塊であり、埋もれてしまうと化石として残ることはありません。現在の哺乳類や鳥類と同じような二心室心臓を持った恐竜が発見されたと言う報告(Rowe, T. 2001. Dinosaur with a Heart of Stone Science, 291 (5505), 783-783)もありますが懐疑的な意見も多く、何と言っても心臓の化石は例外的であり機能進化の手掛かりとしては心許ない情報です。
心臓のバネ分子コネクチンからの情報
化石資料からの情報に頼ることが出来ませんが、それでも心臓機能進化に関して何がしかの情報を得る別の方法があります。私達の研究室では心筋細胞の伸びやすさを決めるバネ分子コネクチン(別名:タイチン)に注目しました。コネクチンは分子量300万という生体内最大のタンパクで、心臓だけでなく骨格筋にも発現しています。この分子にはバネのように伸びる2つの領域(PEVK領域、N2B領域)があり、この領域が長いほど伸びやすくなります(図参照)。
ヒト(哺乳類)、ラット(哺乳類)、ニワトリ(鳥類)、カメ(ハチュウ類)、カエル(両生類)のコネクチンPEVK領域の長さを比べてみると(図参照)、それぞれのアミノ酸数は、163、204、299、821、1471と哺乳類・鳥類において著明に短縮しているのがわかります。また、N2B領域の長さの比較では、活動性が高く冠血管の発達した心臓を持つ哺乳類・鳥類・ハチュウ類のワニで短縮しており、系統樹と重ね合わせると2億5千万年前あたりでコネクチンの短縮が起こったのでは無いかと推定されます(図参照)。このような変化は、時が来たからといって急激に起こるものでしょうか?もちろん厳密には確認のしようも無いのですが、その当時の地球環境と比較してみることであれこれと想像してみることは出来ます。2億5千万年前というのは地球史では大きな節目であり、古生代ペルム紀(Permian)とその後の中生代三畳紀(Triassic )との境界にあたるのですが、ここでは生物種の90%が絶滅されたとされ、生物史上最大の途方もない規模の大量絶滅が起こっています。
地球の見た目も今とは大きく異なり、幾つもの大陸が衝突して一つの超大陸パンゲアを形成していたと考えられています。この超大陸が完成した時に、地球内部から高温のマントルが上昇して火山活動が活発になりシベリアでの火山噴火による光合成生物の減少やメタンハイドレートの溶解により約2千万年にわたり酸素欠乏状態が続いたと言われています。厳しい低酸素環境を生き延びるためには酸素を効率よく取り込むための工夫が必要でした。哺乳類の祖先は現在我々が持つ呼吸補助器官・横隔膜をこの時に獲得したことが化石資料から推測されています(下図)。私達のお腹の部分には肋骨がありませんが、これは横隔膜を収縮させて肺を膨らませる時に、その分の容積をどこかで埋め合わせなければなりませんが、もしお腹にも肋骨があると横隔膜を下げて肺を拡張させることが難しくなります。腹式呼吸は横隔膜の収縮・弛緩によるものですが、お腹の肋骨を無くすことで可能になりました。鳥類の祖先である恐竜は「気嚢」と呼ばれる別のシステムを開発してこの低酸素時代を乗り切り、次世代の王者として君臨することになります。
そして、PEVK領域の短縮では共通する哺乳類と鳥類ですが、その仕組みは異なることが明らかになりました。それは両生類時代に持っていたPEVK領域の巨大なエクソンを鳥類では遺伝子としては保存しているものの心臓ではスプライシングで読み飛ばしてPEVK領域を短くしている一方、哺乳類では巨大エクソンを遺伝子上から消失させており、この違いは心臓を伸びにくくする進化が哺乳類と鳥類では別々に独立して起こった可能性を示唆しています(下図)。
冠循環を維持するには心室の拡張性を制限する必要があり、心室拡張性の制限は2億5千年前のペルム紀と三畳紀の境界で起きた酸素濃度低下後に起こっていることが示唆されました。これらより、私達哺乳類や鳥類の心臓の特徴である発達した冠循環は低酸素環境を乗り切るために呼吸器の進化と併せて出現して来たと考えています。ただ、これは脊椎動物の歴史で初めての冠循環出現という訳では無く、大気中の酸素濃度が高かったペルム紀中期などでは体長5mにもなるモスコプスなどの単弓類(哺乳類の祖先)が存在していましたので、これらの高エネルギー消費動物では冠循環が発達した心臓を持っていた可能性があるのではと思います。しかしながら、これらの高エネルギー消費動物種は急激な酸素濃度低下に対応出来ずに絶滅し、それまで脇役であった省エネルギータイプの動物種が生き残って呼吸器や循環器を進化させて来たのではと考えています。
進化の過程で制限されてきた心室拡張性:臨床的考察
左心室の機能が障害されると、大動脈への血液拍出が低下するとともに左心房の血液は停滞することになります。左心房の血液が停滞すると、肺静脈、肺毛細血管とその上流にも血液が停滞します。血管の壁が厚ければ少々血液停滞によって血圧が上昇しても問題ありませんが、肺毛細血管は二酸化炭素を捨てて酸素を取り込むために非常に薄い壁の構造を持っており、ここで血圧が上がると血漿成分が滲み出して、肺胞に取り込まれた空気とガス交換をするのに問題が生じます。左心不全とはこのような状態で、ガス交換が十分に行われないため呼吸困難を生じます。
上述したように左心室の機能は収縮能と拡張能があり、どちらが障害されても左心不全の症状である呼吸困難が現れます。収縮能が障害される疾患で代表的なものは狭心症・心筋梗塞といった血流の途絶によって心筋組織がダメージを受ける虚血性心疾患と呼ばれるものです。これは超音波検査などで心室の壁の動きを観察すると容易に診断できます。
一方、拡張能が障害される心不全は収縮能が維持されているため心室壁の動きは良く、診断が困難なことも珍しくありません。また、心筋梗塞のように明確なイベントが無くても拡張障害性心不全となっていることも多く、疫学的調査では心不全症例全体約40%が拡張障害によるものであると報告されています。特に高血圧がある場合には拡張障害性心不全の頻度が高くなります。
このように特段の理由が無くともかなりの確率で加齢と共に拡張障害が起こるのは何故でしょうか?私達はこの原因の一端が進化の過程における心室拡張性制限であると考えています。現代日本の平均年齢は男女とも80才を超えていますが、これは哺乳類としての2億年強の歴史の中でも極めて例外的であり、自然淘汰による機能の保証期間外と考えるのは妥当だと思います。織田信長の頃でも人生50年位ですから、大まかには生殖年齢+αくらいのものでしょう。そうしてみると、ヒトの場合は20才までには心臓機能もピークを迎えるように拡張機能が最適化されており、そこからの長期使用は線維化や心室壁の肥厚など更に拡張性を制限する変化を起こして負の影響が出てしまうのだと思います。私も階段を登ると直ぐに息切れがするようになりましたが、「心臓の機能とは」で見て頂いたように私の心室収縮能は良好です。しかし体を動かして多くの血液が巡るようになると、それに見合うだけの心室拡張の余地が無く、呼吸が苦しくなります。生殖年齢付近の若い時に高い心臓ポンプ機能を実現するために進化の過程で心室拡張性を制限してきたことが、長寿化によって裏目に出ているのでしょう。仕方がないな、と思います。