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研究の概要

 

②「胎児循環による酸素・栄養環境と心臓形成制御」

 

  ヒトを始め哺乳類は母胎内でその生涯をスタートします。意識下にはその記憶はありませんが、私たちは出生に向けて心臓をはじめ様々な臓器を発達させるために母胎内の特殊な環境で過ごしてきた過去があり、その履歴は細胞に残って、何十年にもわたって影響を及ぼします。例えば、戦争など社会状況によって栄養を十分に摂れなかったり、出産を軽くする目的で妊娠時に十分な栄養を摂らずに低体重で出生すると、成人してから心・血管病のリスクが高くなることが知られています。

  胎児は胎盤と臍帯によって母体と繋がれ、肺などの臓器が機能出来ない間は胎盤が母体側との物質輸送を行うことで代役を果たしています。胎児循環の模式図を示しますが、胎児の体を循環した血液は胎盤に入り、絨毛(じゅうもう)と呼ばれる木の枝のような形をした血管構造に流れこみます。絨毛の外側には母体血が充満しており、ここで酸素や栄養を受け取ります。これまで胎盤の役割は酸素や栄養を効率よく胎児に供給することとされてきました。例えば、Ganong生理学と言う教科書には「もし成体型以上の酸素運搬能を持っていなければ、おそらく胎児は低酸素症に陥るだろう」と記述されています。しかし、酸素に関して言えば胎児血の酸素分圧は25mmHg程度と成人の90-100mmHgに比べて随分と低いのです。生体内では組織に必要な酸素を供給するために様々な工夫が見受けられ、もし胎児が酸素を大量に必要としているのなら、胎児循環はもう少し頑張ってくれても良いのでは無いでしょうか?また、栄養に関しては、胎盤でアミノ酸を輸送するタンパク質も発現量に差があり、胎児へのアミノ酸供給に偏りがあります。この研究では、胎盤や胎児血液によって酸素や栄養がどのように運搬されているのか、またその特性が胎児の発達に及ぼす影響について心臓を具体例として明らかにしていきたいと考えています。

 
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酸素の運搬について

- 胎児型ヘモグロビンの本質としての緩衝能 -

 

  酸素は我々が生きていく上で欠くことのできない要素です。一方で、生命史上では酸素を使ったエネルギー獲得のシステムが出現するまでは役に立たないどころか有害にさえなり得たと考えられています。肺呼吸で酸素を大量に取り込んで莫大なエネルギーを消費しながら活動する出生後の生き方と、殆ど動かずに細胞分裂を活発に繰り返して体を形成する胎生期の生活では酸素の必要性も異なるでしょう。

 
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  酸素は血液(赤血球)に含まれるヘモグロビンと呼ばれる物質に結合して運搬されますが、母体血と胎児血のヘモグロビンでは酸素との結合しやすさが異なります。図は酸素親和曲線と呼ばれるグラフで、横軸が血液(血漿)中の酸素濃度、縦軸がヘモグロビンと酸素が結合している割合(%)です。酸素濃度とヘモグロビンが酸素と結合している割合(飽和度)は直線的な比例関係ではなくS状カーブとなっています。また、胎児と成体のヘモグロビンの酸素親和曲線では性質が異なり、胎児のヘモグロビンは母親のヘモグロビンに比べて酸素を強く引きつけます。この性質については、「胎児ヘモグロビンは胎盤で酸素を効率よく受け取るため」と言うのがこれまでの教科書的な解釈でした。胎盤での酸素受け渡しに関してはその通りに思えます。その一方で、酸素を大量に運ぶことが目的であれば胎盤において酸素を満載して胎児組織で大量に放出して還ってくるのが理想的に思われますが、図の胎児型ヘモグロビン曲線上では胎盤での酸素飽和度はまだまだ酸素を積む余裕がある状態です。本気を出して高い効率で酸素を供給するつもりになれば、対向流にするなり、いくらでも酸素運搬効率を上げて胎盤での酸素飽和度を高める方法があるのに、絨毛の血管構造は余りにも生ぬるいように感じられるのです。

また、S状カーブの利用部分からも胎児循環の目的が酸素の大量運搬だけでは無いことが伺われます。赤丸で挟まれた部分が成体型ヘモグロビンの酸素供給における使用レンジですが、肺胞では100mmHg程度の酸素分圧で、S状カーブの右端を使っています。末梢組織でガス交換を済ませた静脈では50-60mmHgとなります。それに対して青丸で挟まれた部分である胎児型ヘモグロビンの使用レンジはS状カーブの中央付近であり、横軸幅は狭く血液中の酸素分圧変化が少ないことを表しています。これは何を意味するでしょうか?

  私達は、胎児のヘモグロビンが成体に比べて酸素と結合しやすいこと、酸素親和曲線のS状カーブの中央付近を使うことから、胎児循環の目的が低酸素環境(25mmHg程度)の維持では無いかと考えました。中学校で習った酸塩基平衡ではS状カーブの中心付近では酸や塩基を加えてもpHが余り変化しなかったのと同様に、胎児血液では酸素消費が進むとヘモグロビンからの解離によって酸素が提供され、逆に酸素が余ってくるとヘモグロビンに結合することで血漿中の酸素濃度は一定に保たれるような緩衝能を発揮するのです。心機能での フックの法則 といい、昔習ったことが色々なところで顔を出して来ることには、心地よい懐かしさを感じます。

 
 
1. 酸素の運搬について

生体情報としての酸素

- 出生後の酸素分圧上昇が心筋細胞の分裂を止める -

 

  胎児循環の本質の一つは低酸素環境維持システムでは無いかと書きました。それでは低酸素環境が維持されることの目的は何でしょうか?私達は哺乳類の心筋細胞が、出生直後に分裂能を失うことに着目しました。簡単に言えば、出生に伴う肺呼吸開始により血漿の酸素分圧が上昇して、「もう母親から独立して生きていかなければならない」と心臓に伝えているということです。成体の心筋細胞はアクチン・ミオシンなど心臓が収縮するための装置がパンパンに詰まっており、血液を送り出す仕事に特化しています。そのため、心筋梗塞などの病気で一度心筋細胞が死んでしまうと、生き残った細胞が分裂して補充するということが出来ません。生まれてから大人になる過程で心臓は大きくなりますが、細胞分裂が出来ないため一つ一つの心筋細胞が大きくなることで成長しているのです。胎児の心筋細胞は自分の体に血液を送る仕事がそれほど大変では無いので、アクチン・ミオシンなどが少ないため細胞分裂も可能です。その様子を動画で示します。

 

培養心筋細胞の分裂

 

  胎児の心筋細胞は分裂出来るのに出生後にはその能力が失われる過程に、酸素が関係しているかどうかを確かめてみました。大気中の酸素濃度は約20%であり、心筋細胞を取り出す操作でも大気に曝露してしまうと分裂を停止させてしまう可能性があります。
 そこで写真のような低酸素装置内で細胞を採取するのに用いる溶液も3%酸素でバブリングしてから操作を行いました(
下図左)。このようにして調整した培養心筋細胞を、① そのまま3%で培養し続ける ② 3時間大気曝露してから再度3%酸素環境で培養する ③ 大気で培養する、の3条件で1日観察してみました。結果は、3%で培養し続けると1日で4.5%の心筋細胞で観察された分裂が、大気環境下では0.5%と約1/10にまで低下しました(下図右)。また、20%酸素で3時間培養しただけでも心筋細胞の分裂能は大きく抑制されました。これらから、哺乳類の心筋細胞が出生後に分裂を停止する仕組みとして、酸素環境の変化が情報として利用されていることが示唆されました。(Hashimoto K. et al. Sci Rep. 2017

 
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2. 生体情報としての酸素
3. 栄養の運搬いついて

栄養の運搬について

 

 タンパク質の原料となるアミノ酸は親水性であり細胞膜を透過できないため、アミノ酸輸送体(トランスポーター)を介して細胞内外を移動します。アミノ酸輸送体は輸送するアミノ酸の性質(中性、酸性、塩基性)と膜輸送がNa+に依存するかどうかで6群に分類されますが、エネルギー消費や細胞分裂が著しく増加するガンにおいて正常細胞とは異なるアミノ酸輸送体が発現しており取り込むアミノ酸の種類も大きく偏ることが報告されています。私達は、胎生期を通じて母体血と胎児血を境界する胎盤膜組織に発現するアミノ酸輸送体の種類と胎児に輸送されるアミノ酸の偏りを評価して、生体におけるアミノ酸輸送に関する定量的情報や経時的変化を得て、培養系にて遺伝子発現や細胞応答評価を行っています。

 
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